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おんなじ気持ち 「この世界の片隅に」と「MOTHER2」

今週のお題「名作」

 

2017年、高2の夏。地元の市民ホール的なところで、映画「この世界の片隅に」の上映会が行われた。

 

この世界の片隅に」は、公開当時、テレビのニュースなどで頻繁に紹介されており、かわいらしい素朴な絵柄や、温かい感じのする音楽を見聞きして、「観てみたい」と強く思ったが、私は、戦争、特に「原爆」に、トラウマのような強い恐怖を感じていた。

 

私の通っていた大阪府内の小学校は、きちんと平和学習をしてくれる学校だった。夏休み期間中、2日か3日ほど登校日があったが、そのうちの1日の日付は、決まって「8月6日」だった。

小学1年生の、初めての8月6日の登校日、校長先生のお話を聞いて、この世には「戦争」というものがあることを知った。

この地球上に「戦争」というものがあるというのは、幼いながらになんとなくわかっていたのかもしれない。

でも、1945年の今日、さらに1945年のしあさってに、広島と長崎で何が起きたかということは、そのときに生まれて初めて知った。

校長先生のお話の後は、教室に戻って、担任の先生に、原爆に関する絵本を読んでもらった覚えがある。

 

一瞬のうちにたくさんの人が、ものすごいやけどを負って、死んでいく。まったくもって意味がわからなかった。そんなことがあっちゃいけないと思った。

でもそんなことが、過去に、しかも自分が住んでいる国で起こったらしい。

 

当時の自分が抱え込める最大容量を大幅に超えた、あらゆるネガティブな感情がごちゃ混ぜになったものを心に抱え、家に帰った。

 

帰宅後のことはめちゃくちゃ覚えている。テレビのついたリビングで、私はDSの「Newスーパーマリオブラザーズ」をやっていた。めっちゃくちゃ覚えてる。WORLD4の毒沼コースで遊んでいた。

そんなときに、テレビで原爆に関する特集が流れた。

それが耳に入ってきた瞬間、泣いてしまった。学校では泣かなかったけど、少し時間が経って家に帰って、今日学んだ事柄を知らないうちに反芻していて、それによって湧いてくる感情がやっぱり自分にとってキャパオーバーだったので、泣くしかなかったのだと思う。

 

両親がとてもびっくりして心配してくれた。そりゃ、ストーリーものとかじゃなくて2Dマリオやってる子が急に泣き出したら驚くわな。

「原爆が怖くて泣いた」とは、なぜか言えなかった。「なんかわからんけど泣けてきた」と言った。親は「ゲームがクリアできなくて悔しかったんだろう」という理解をし、慰めてくれた。お父さんが、クリボーの上手な踏み方と、ゴールポールのてっぺんへのジャンプの仕方を教えてくれているうちに、何とか涙は止まった。

 

その夜は"怖くて"寝られなかった。それまでの人生で最大の恐怖に包まれていた。

学校にいたときはよくわからなかった、原爆に対するごちゃ混ぜの感情から、「恐怖」という種類のものが分離され、私の心に居座るようになった。

 

ちなみに「怒り」も生まれていた。

翌日友達と遊んだときに、「昨日学校でやった、戦争のこと考えてたら、めっちゃ腹立ってるんやけど!」と、友達に言った。友達も、実際のところはどうだったのかはわからないが、私に同意して、「確かに腹立つな」という旨の返事をしてくれた記憶がハッキリとある。

 

「恐怖」の方に話を戻す。8月6日を学校全体の登校日にしているぐらい、きちんと平和教育をしてくれた小学校。図書室には、戦争に関する本もたくさんあり、原爆の被害を撮影した写真集もあった。

登校日のあと、戦争と原爆というものを初めて知った我々は、そのような本に興味を抱くようになり、自分から読もうとする子をクラスで結構見かけ、私もその一人になった。

でも、当時の私はだんだん、「怖いもの見たさ」でそういう本を開くようになってしまった。すごく良くないことだったなって、今でもずっと思ってる。

 

写真はすごく怖かった。この前、映画「オッペンハイマー」を観た。史実かどうかはわからないが、オッペンハイマーが、スライドに映る原爆投下後の写真から思わず目をそらしていた。大人でもそうなるんだから、小学校にとってはものすごい恐怖だった。

 

8月6日の登校日は小1の1回きりではなく、記憶が確かであれば、6年間毎年あった。

学年が上がるにつれ、絵本だけでなく、図書室の写真集に載っているような実際の写真なども用いて、戦争と原爆について学んでいった。

 

知るにつれ、学ぶにつれ、年齢を重ねるにつれ、毎年8月中の数日だけでも戦争について自分なりにちゃんと考えてみる習慣がつき、戦争と原爆に対して、「怒り」や「疑問」、「困惑」など、それぞれきちんと名前を付けてジャンル分けできる、様々な感情を抱くようになった。でもやっぱり、一番強いのは、「恐怖」だった。

 

戦争、特に「原爆」は、私にとってただただ「恐怖の対象」となり、「原爆は怖い」、ただそれだけしか考えず、とにかく避けるようになってしまった。

小学校の平和教育のせいだ!とか言ってるのでは決してない。授業でも、悲惨な写真を見るときなどは、しんどくなってしまう子は見なくてもいいという指示があったし、ちゃんと適切な形で我々に戦争と原爆について教えてくれた、とても良い学校だったと思う。"私"個人が、結果的にそうなったという話である。

 

小6の修学旅行は広島。「怖い街」だと思ってしまっていた。ちゃんと学んで、ちゃんと遊んで楽しんで帰ってきた。でもやっぱり「怖い街」というイメージは消えず、また行きたいとは思わなかった。長崎も自分にとって「怖い街」だった。

 

その小学校を卒業し、一気に5年飛んで、2017年、高2の夏。

冒頭でも書いた通り、地元の市民ホール的なところで、映画「この世界の片隅に」の上映会が行われると聞いた。

 

テレビのニュースで「この世界の片隅に」を知って、絵柄や音楽に惹かれ観てみたいけど、原爆に関する物事をどうしても避けたい気持ちもあった私は、観るかどうか迷い続け、気づいたときには行ける距離にある映画館での上映が終わっていた。

 

その映画が、地元のホールで(しかも無料で)観れるとなると、行くしかないと思ったが、やっぱり怖くて、幼なじみを二人誘ってみた。

二人とも快諾してくれ、しかもそのうちの一人が原作漫画をすでに読んでおり、「怖いだけの物語じゃない」と教えてくれた。

観る決心がつき、市民ホールへ出かけた。

 

映画が始まってびっくりした。何週間も前からずっと危惧していた「怖さ」が消えうせたから。

広島から呉に嫁いできた主人公の「すずさん」の暮らしが、おかしさを交えて描かれる。

おつかいに行ったり、旦那さんとデートしたり、絵を描いたり、孤独な街で初めてのお友達ができたり。

普通の人の普通の暮らしを観てあったかい気持ちになったとともに、今まで、あることに全然気づけていなかったとわかった。

 

戦時中だって、普通の人たちが普通に暮らしていたのだ。

 

戦時中は、「70年以上も前という、遠い昔の、歴史の教科書の中の薄暗い時代」としか思っていなかったが、よく考えたら、「たった70年ほど前の、おじいちゃん・おばあちゃん、ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんが、普通に暮らしていた、今より少しだけ前の時代」なのだ。

「歴史もの」ではなく、「日常系アニメ」として、私は目の前の映画を鑑賞し始めた。

 

だが、後半、戦争が激しくなるにつれ、すずさんたちの普通の日常が、だんだんと普通でなくなっていく。そのことについての「恐怖」が生じた。

この「静かな恐怖」は、これまで戦争について見聞きし学んできた中で感じたことはなかった。

戦時中を、「自分にとって身近な時代」と思えたことで初めて、この感情が湧いてこれたのだろう。

 

観終わった後、席からすぐに立ち上がれなかった。小1の登校日のあの日と同じく、いろんな感情がごちゃ混ぜになってキャパオーバーしていた。

「なんかすごかったね」としか友達に言えず、そんなにしゃべらずに自転車でみんなで帰った。

でもそのごちゃ混ぜの感情の中身は、小1のあのときのものとは異なっていた。

 

観終わってすぐに、こうの史代先生の原作漫画を読んだ。すずさんが、広島が、あの時代が、もっと身近に感じられた。

やっと、広島も、そして長崎も、怖い街ではなくなった。恐ろしいことが過去に起きた街であって、怖い街ではない。「原爆=怖い」がすべてで、そこから思考が停止していたのが、ようやく動き始めた。

 

小学生のときに感じていた種類の「原爆に対する恐怖」も、もちろん重要なものであると思う。この恐怖があるからこそ、私は、戦争なんか嫌だし、核兵器の使用は言語道断であると心から思える。

でもこの恐怖は、私にとっては強すぎる感情で、過剰すぎる拒否反応のもととなっていた。

この世界の片隅に」を観てはじめて、小学生の時に生じた恐怖を変わらず抱きつつも、その恐怖を、心の中にうまいこと住まわせることができるようになった。

 

映画を観て、漫画も読んで、市民ホールで立ち上がれなかったあのときのごちゃ混ぜの感情のそれぞれが、だんだんと何だかわかってきて、名前をつけられるようになった。

作中の笑える部分の「おもしろさ」、すずさんの暮らしを観たことによる「ほのぼのとした温かさ」、戦争・原爆に対する「悲しさ」・「怒り」、日常が壊れていく様子を目の当たりにしたことによる、"静かなタイプの"「恐怖」。

こんな感じのたくさんの感情を抱くことができる映画であったが、名前を付けられず分離できていない感情がまだ何かあるような気がした。でもそれが何なのかはわかんないまま、1年弱過ぎて高3のゴールデンウイークになった。

 

高3のゴールデンウイーク、忘れもしない。全日程を、3DSバーチャルコンソールでの「MOTHER2」のプレイに費やした。

 

ゲーム好きだけど、RPGはあんまりやってこなかった私。好きで見ていたテレ東の「勇者ああああ」というゲーム番組で、MOTHER2が激推しされており、興味が湧いてプレイしてみたのだ。

 

おもしろすぎる!!!!

 

主人公の少年の住む家の近所に隕石が落ちてきて、変な虫みたいなやつに、地球の危機が迫っていること・その危機を救える一人が自分であることを告げられ、少年はバットを武器に旅に出、最高の音楽と最高の言い回しと最高のその他数々とともに、最高のボスの倒し方で、最高の最後を迎える、最高のゲームだったのであります!

 

MOTHER2クリア後、「面白かった」、「感動した」、「あそこは苦戦した」、などなどの様々な感情とともに、「この世界の片隅に」を観たときと同じ気持ちも存在していることに気づいた。

 

やっとわかった。「この世界の片隅に」を観た後のごちゃ混ぜの感情の中で、他の名づけることができた感情とは別にあった、「正体不明の謎の感情」。

そいつは、「フィクションの世界の中なのに、"普通の日常"を強く感じたことにより湧いてくる気持ち」だったのだ。

 

この世界の片隅に」では、すずさんの世界がとても身近に感じ、フィクションでありながらも私自身の日常ともつながっている感じを強く受けた。

MOTHER2の世界も、「普通の日常」を強く感じさせられるのだ。

 

主人公のネス。超能力を使えるのだけれども、所持する武器は「バット」なのだ。ソードとか、魔法の杖とかじゃなくて、バット。

MOTHER2のアイテムは「ドラッグストア」等で買い、「ハンバーガー」などを食べて回復ができる。「アイテムショップ」とか、「ポーション」とかではない。

自転車の二人乗りは禁止されており、話しかけるとダルそうにしてくる大人もいて、あまり家に帰らないとネスはホームシックになる。

 

超能力を使えて、モンスターチックな敵と戦うところもあるけれど、ネスの冒険は、「普通の世界に住む普通の男の子による冒険」を感じさせる。

 

共通して、その物語の世界が、「日常」を強く感じさせる、「この世界の片隅に」と「MOTHER2」。

この映画を観て、このゲームをやって生じた、「おんなじ気持ち」は、「"フィクションでありながら身近な世界"の中に自分が入り込み、元の自分の世界に戻ってきたときに感じられる気持ち」であるのだろう。

正体はわかったけれど、この気持ちに最もふさわしい"名前"があるのかどうかは、まだわからない。

ただ、この気持ちは、ものすごくあたたかくて、やさしくて、ほんわかとした、良い気持ちなのです。