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昼のラジオへのメール

今週のお題「ラジオ」

 

(※今回は長文になり、約3600字あります)

 

深夜のお笑いラジオが好きだ。例えばオールナイトニッポンとか。

 

高3のときに聴き始めたから、もう6年ぐらいになる。

最初のうちは聴き専で、他のリスナーから送られてくる、コーナーへのメールやリアクションメールなどに、「何食べてどうやって生活してたら、こんなこと思いつくんだろう」と感じながら、ゲラゲラ笑ってた。

自分がそういうメールを送るところなんて想像もつかず、特に送ってみたくもならないまま、ただただ聴くだけでラジオを楽しんでいた。

 

そうしているうちにラジオ好きが高じて、佐藤多佳子さんの「明るい夜に出かけて」という、実在したラジオ番組である「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」を題材としている小説を読んでみた。

この物語の登場人物は、アルピーANNのリスナーの中でも、メールを送るタイプのリスナー、つまり「ハガキ職人(メール職人)」と呼ばれるような人たち。

登場人物たちのラジオとの付き合い方に、「楽しそうだな」という憧れが生まれて、自分もメールを送ってみようと、初めて思った。

 

毎週聴いてるオールナイトニッポン0の番組の、あるコーナー。頭をひねってひねって、そのコーナーへ送る渾身の一通を書き上げた。誤字がないか何度も見直して、初めて打ち込んだアドレスも合ってるのか確認しまくって、震える指で送信ボタンをタップした。

 

今日の夜、読まれるんだ。ラジオから自分のメールが聞こえてくるんだ。

感じたことないほどワクワクしながらラジオを聴き始め、感じたことないほど落胆しながらラジオを切った。普通に読まれなかった。

 

一度送ってしまったらもう最後。「読まれたい」の気持ちは、読まれない日々が続くほど増していった。

 

ラジオは楽しい。オープニングトークにフリートーク、そして他の人が読まれてるコーナー。どれもめちゃくちゃ面白くて楽しくてたまらないのに、メールが読まれないことへの焦りと悔しさと落胆を自分で勝手に抱いて、自分で勝手にラジオを「楽しいだけのもの」ではなくしてしまった。

 

深夜ラジオは奇妙な空間だ。お昼の生活でうまくいっていない、「真人間」から外れている変なリスナーほど、ラジオでは輝いているように思えた。

 

自分にも変な部分は多々ある。変な部分があるどころか、「変な人間だ」とまで思っている。

でも、ラジオでよく読まれてる人は、自分よりもっともっと変で、だからあんなに面白いことを思いつけるんだ。自分もそれぐらい変にならなきゃ。

そう思って、見よう見まね、じゃなくて、聴こう聴きまねで、毎週メールを送り続けた。

ぶっ飛んだ発想を送ろう。ぶっ飛んでればぶっ飛んでるほどいい。深夜ラジオだから下ネタメールもよく読まれてる。自分もそんな感じのを送ってみよう。

 

5か月ほど経ち、聴く番組も増え、メールを送る量も増えたが、深夜ラジオから自分のラジオネームが聞こえてくることはなかった。

 

そんな中、自分の聴いている深夜ラジオのパーソナリティのうちのお一人(上記の、初めてメールを送った番組とは別の番組のパーソナリティの方)が、4月から新しく始まるお昼のワイド番組のパーソナリティも務められることになった。

お笑いが好きなので、ニュースばっかり流れてるお昼のラジオに興味はなかったが、その方のことが大好きだから、初回を聴いてみた。

 

意外とお昼のラジオも面白かった。ニュースは単純に情報を得られて興味深いし、ラジオショッピングのコーナーなんかも、ほのぼのとしてて良い。ある事柄を専門家が解説する真面目寄りのコーナーもあったが、パーソナリティが好きで聴いてるから、学校での"やらされてる"お勉強感はなくて、これまで興味もなく知らなかったことに目を向けて学べるのが楽しかった。

 

そのお昼の番組でも、やっぱりリスナーからのメールを募集していた。感想メールや、冒頭で番組側から提示される「今週のテーマ」に関するメールだ。

深夜ラジオと違って、別に面白いことを送らなくてもいい気がした。だから、テーマに関することや、番組内での話に関する感想を、率直に書いてメールで送った。

 

まあでも、送ってもやっぱり読まれない。だけど自分の思いを素直に書くだけだったので、頭をひねりまくって考える必要もなく送りやすくて、毎週送り続けた。

 

 

忘れもしない。5月のはじめ。読まれた。自分のラジオネームが聞こえてきて、自分がさっき打った文章をラジオの向こうで読んでくれている。

嬉しかった。嬉しかった。内容は本当に単純な、番組で出た話題に対する自分の意見。

メールを読んでくれたアナウンサーの方も、それを聞いてたパーソナリティの方も、私のメールの内容にリアクションをくれ、そこからまたちょっと話題を広げたりしてくれた。

パーソナリティの方は、深夜ラジオではラジオネームを呼び捨てにしてるのに、このお昼のラジオでの、今回の私のラジオネームは、「さん付け」で呼んでくれ、その違いもなんだかまた嬉しかった。

それ以降、1、2か月に1回ぐらいの頻度で、そのお昼のラジオでメールを読んでもらった。

 

 

それとは別に、やっぱり深夜ラジオにもメールは送っていた。

これもまた忘れもしない。2019年7月。8か月前に生まれて初めてラジオへのメールを送ったあの番組(とはいっても、あの頃とは違って1部に昇格してたけど)で、メールが、私の送ったメールが読まれた。

8か月間、送っても送っても読まれなかったのに、ただ面白くないから読まれないだけなのにそれを認められず「なんかよくないこと書いちゃっててブラックリストに入ってるんじゃないか」と考えるほどだったのに、自分のメールが読まれた。

 

読まれたのは、頭をひねってひねって送ったコーナーへのメールじゃなくて、「テーマメール」。その週のテーマに関する自分のちょっと悲しかった出来事を、昼のラジオに送るときみたいに、率直に送った。

そしたら読まれた。そして笑ってくれた。パーソナリティが。

吐き気が止まらなかった。自分は嬉しすぎると吐きそうになる人なんだと初めて知った。

 

そこから、ゆっくりゆっくり、だんだんとわかっていった。

素直に送りゃいいのに、夜のラジオへのメールでは、身の丈を越えた変な人になろうとしていたんだ。

 

たくさん読まれてる、すごく面白い、めちゃくちゃ変な人たちに憧れて、そして自分も「変な人」という自覚があるタイプだったから、自分だっていつかそうなれるさ、と、メールを送り続けたけど、無理して変な人になろうとしていた。

自分には「自分の変さ」があるというのに、その自分の変さを無視して、「他の人の変さ」を真似っこでするだけで送っていたから、フィットしなくて面白くなくて、読まれなかったんじゃないかなと思う。

 

一方で、昼のラジオは、無理して変な人にならなくても、変な自分の中にもある「真人間」の部分を隠さなくても、ホントにそのままの自分の文章でメールを送ればいいと思わせてくれた。

 

昼のラジオに送ったメールの自分も、夜のラジオに送ったメールの自分も、間違いなく自分自身だ。嘘を送ったことはないつもり。

でも最初のころに夜のラジオに送ってたメールは、嘘ではないけど、ホントの自分からはズレちゃってた。

 

深夜ラジオへのメールは、おととしから急に、月1、2回ぐらいの、送り始めの自分にとっては夢のような頻度で読んでもらえるようになった。

テーマメールだけじゃなく、感想メールや、コーナーメールも読んでもらえてる。

やっと「自分の変さ」をわかって、昼のラジオに送るときみたいに、夜のラジオにも「自然な自分」としてメールを送れるようになったのかなと思う。

 

人間の欲って恐ろしいもんで、一度読まれてもまた読まれたくなるし、先週読まれても今週も読まれたくなるし、昨日読まれても今日も読まれたくなるし、今日読まれてもまだ今日のうちに2通、3通と読まれたくなる。

だからいっぱい送るけど、「無理して送る」っていうのはなくなった気がする。

メールを送ろうと思い始める前のあの頃と同じく、「ラジオはただただ楽しいもの」という気持ちに戻れてるような気がする。

 

 

あのお昼のラジオのパーソナリティの方に、夜のラジオで初めて読まれたときは、これまためちゃくちゃ嬉しかったな。これまでと違って、呼び捨てでラジオネームを読まれて、「こんばんは!!」と思った。

 

そのお昼のラジオは、1年半で終わってしまった。今でも寂しい。たまに聞きたくなる。

 

ステレオタイプ的深夜ラジオリスナーの自覚がある私は、ダサくてドジばっかりで、学校やバイト先にいる昼の時間帯がつらいことも、今までに多々あった。

そんな自分にとって「夜」は優しい。自分のような変な人間も包み込んで、「居ていい」と思わせてくれるから。

 

でもお昼のラジオも、「真人間の部分も、変な部分も、両方あっていい」という、夜とはちょっと違う肯定の仕方をしてくれて、やっぱり優しかった。

ラジオ、私は大好きだ。