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映画エッセイ "名作"しか観れなくなってしまってる

「名作映画」が好き。雨に唄えば』とか『アラビアのロレンス』とか。

 

好きになったきっかけ、2000年生まれの自分がまったく自分の世代の作品じゃない映画を観てみようと思うようになったきっかけのうちのひとつには、「通っぽい、カッコいい人だと思われたい」という、よこしまだったり、中二病っぽかったりする気持ちがある。(実際に名作映画を見始めたのも、ちょうど中学2年生のとき!!)

 

そんな感じで見始めた名作映画。「名作」と呼ばれるだけあって、ものすごく面白い。

いつしか、かっこよく思われたいから、ではなく、「単に面白いから」という理由で名作映画を観るようになり、名作映画が大好きになった。

 

そうしているうちに、気づいたら、"名作"映画しか観れなくなってしまっていた

 

映画って、1本観るのに2時間とかかかる。

2時間を費やして観た映画が面白くなかったらどうしよう。後悔や怒りなどでいっぱいになるんじゃないかしら。

でも名作映画にはそんな心配はいらない

 

星の数ほどある映画のうち、自分が生まれるはるか前から現在まで残り続けているのはきっと小数で、残り続けられるのは面白いからで、残り続けた映画が「名作」なのだろう。

そんな名作映画を観ると、たいていやっぱり面白い。自分の時間を2時間費やしたことに対し、心から良かったと思える。

 

面白くなかったとしても、大丈夫。

「名作」であると多くの人から思われていて、時を経て残り続けている映画を、面白く感じられないなら、悪いのは自分だ。そう思える。

ぜんっぜん面白くないものに2時間費やしたとしても、それが「名作」なのであれば、映画じゃなくて自分が悪い。自分には合ってなかった。こう結論付けられて、後悔も怒りも湧いてこない

(例えば「ブロードウェイ・メロディー」。私はそこまで面白くなかったが、観て良かったと本心で思えている

 

名作映画を観る場合、私に「ガッカリ」が発生することは100%ないのだ。

だから、「名作」ばっかり観てしまい、ガッカリが怖くて、今の時代の映画をそんなに観てこなかった。

 

おととしぐらいから、映画館に結構通うようになり、名作かどうかの決着はもっと未来につくであろう、新作映画を観ることも増えた。それに伴い、ガッカリを味わうことも出てきた

私は性格が悪いので、ガッカリの後には、SNSなどで自分が感じたのと同じような批判意見を言っている人を探し出し、「よし、自分だけじゃなかった。やっぱ良くなかったよね!?」とスッキリする。

 

が、やっぱりガッカリは嫌だ。映画館によく行くようになった今も、映画館で観るのは新作よりも、名作映画のリバイバル上映の方が多い

どうしても「名作」と呼ばれるものばっかり見てしまう。

 

新作を観て感じた私のガッカリも、50年後ぐらいには、「あのガッカリ取り消し!悪いのは自分でした!!」となっているかもしれないが、50年先の答え合わせまで待てない。

やっぱり今日も私は、50年前、70年前、90年前の、「名作映画」を観るのである。